『子育てママの私が片づけに夢中になった理由(仮)』発売中

ぶっちゃけ、片づけるならまず捨ててしまったほうが早い!

今日は母と話したことについてお話ししたいと思います。

母「私もそろそろ片づけなあかんわ~。」

「そうだね。」

母「まず捨てないと。」

「でも捨てるところから始めると、また元に戻るよ?」

母「私くらいの年になるとね、捨てないといけないモノばかりなのよ。」

「若い人だってモノは多いよ。」

母「でもね、私くらいの年になると、頭がはたらかない。」

「若い人はそもそも考える習慣がないよ。」

母「でもね、体が言うことを聞くうちにやらないと・・・。」

「そりゃそうだ。」

体力では確かに、若い人には勝てませんが、
モノが多いとか、考えるのが苦手だとか、
そういうことは老若男女、ほとんど関係ありません

お客様でもやはり、私の母くらいの年代になると、
口では「捨てないといけない」「全部捨てたって良い」
という風に言うんですが、いざモノを目の前にすると、
「それはね、要るのよ」と言って、
結局ほとんど処分できないことが多いのです。

多くの人が、年齢、職業、家族構成、趣味、その他諸々を以って、
「私の場合は特別なのよ」と言うのですが、
確かにその人はその人であるというオンリーワンの
存在であることに間違いはないのですが、
「片づけられない理由」として持ち出されるのは
別に特別な事情ではないことがほとんどです

実は私の母の場合、片づかなくなったのここ数年のことです。
母の母(=私の祖母)の介護を自宅でやっていたものですから、
なかなか落ち着いて家事ができなかったり、
ストレスでモノを買うようになっていったところがあるのですね。

そしてやがて母親の介護という役割も終え、
時間的にも精神的にもかなり楽になりました。
ただ、広い家に夫(=私の父)と二人だけで住んでるので、
片づける理由が特に何もないんですね。

そこへまた、母が足を骨折し、歩みがおぼつかなくなりました。
そのときはもちろん、片づける気になれません。

そんな調子で、仏間や客間は非常にスッキリしているのですが、
納戸部屋はモノが溢れかえるようになっていったのです。

しかし先日、家の一部をリフォームすることになりました。
相変わらず母は足の調子が良くなかったので、
私は「いつでも手伝うよ」と言ってあったのですが、
結局、自分一人で片づけてしまいました

もちろん急に若返ったわけでもなく、
足の調子が良くなったわけでもありません。
ただ、「片づける理由」ができただけなのです。

片づけるのに必要なのは、まず「片づける理由」=目的です。
「やる気」「必要性」と言っても良いでしょう。

「片づけないと・・・でもやる気が起こらない。」
という人はお客様でも多いのですが、
それは別に構わないのです。

本気で片づけたいと思っていれば、
もしくは本当に必用性に迫られれば、
苦手でもできてしまうんです。

ただ、もちろんそのときは形だけ片づくだけです。
遅かれ早かれ、元に戻っていく可能性が高いのです。

だから、まず捨てることから考えるのは危険なんです。
意識していないと、モノはまたどんどん入ってきますから

片づけは、目的ではないのです。

何かをしたいこんな風に暮らしたい
そんな思いがあって、
それを実現するための手段が「片づけ」に過ぎないのです。

「とりあえず片づけたい」という気持ちはもちろん理解できます。
しかし、とりあえず片づけるというのは、
穴の開いたバケツに水を入れ続けるようなもの
なのです。

まずバケツの穴をどうやってふさいだら良いのか考え、
しっかりと穴をふさいでから水を入れたほうが
早くバケツを水でいっぱいにすることができるのです。

だからね、もっと楽しいことを考えましょう
「ここを片づけて、趣味の部屋にしよう」とか、
「孫が来たら遊ぶ場所にしよう」とか。
リフォームを考えるのも良いですね。
(注:「リフォームしたら片づく」は単なる妄想です)

脳は「快」を求めているのです。
「やらないといけない」「やったほうが良い」では、
脳は行動をコントロールできないのです。

コメント